誰かとつながることも、ひとりでいることも、自分で選べる。その距離感が、知らない土地で過ごす最初の緊張を、少しやわらげてくれます。
「このまま、ずっと同じ毎日でいいのかな」。
仕事にも都会での暮らしにも慣れてきたころ、ふとそんなことを考える。まだ移住を決めたわけではないけれど、今とは違う場所で暮らす自分を、少し想像してみたい。
そんな時は、まず旅をするように地域へ入ってみるのもひとつの方法です。今回訪れたのは、島根県西部の街、益田市。日本海を望む『ゲストハウス&カフェ ハレテル』を拠点に、人や地域の日常にふれる時間を過ごしてみました。
海のそばにある、
ひとりでも落ち着ける居場所
益田市街地から海の方へ。『ハレテル』があるのは、日本海に面した三里ヶ浜のすぐそば。
建物の向こうに広がるのは、大きな空と水平線。どこまでも続いていきそうな海を眺めていると、さっきまで頭の中を占めていた悩みが、少しだけ小さく思えてきます。
まずは、旅の拠点となるゲストハウスへ。客室は、ひとりでゆっくり過ごせる個室のほか、女性専用・男女共用のドミトリーが。館内にはラウンジやキッチン、シャワールーム、ランドリーなどもあり、長めの滞在や気ままなひとり旅にも使いやすい設備がそろっています。
オーナーの森井さんによると、宿泊者の約8割がひとり旅なのだそう。「ゲストハウス」と聞くと、知らない人との交流が前提のように感じる人もいるかもしれません。でも、ここでは誰かと話したければ話して、静かに過ごしたければそれでもいい。
荷物を置いて、ベッドに腰掛ける。少し気持ちが落ち着いたら、ラウンジへ出てみてもいいし、そのまま部屋でのんびりしてもいい。
コーヒーを挟んで、
知らない町の人と話してみる
ひと息ついたところで、カフェへ。『ハレテル』にはカフェが併設され、自家焙煎のコーヒーを楽しめます。
この日、森井さんが淹れたコーヒーを受け取ると、そのまま隣へ腰掛けました。「さて、話しましょう」と構えるわけでもありません。どこから来たのか、どうやって益田まで来たのか。そんな他愛のない話から始まり、気付けば益田の町や暮らしの話へ。その流れが、とてもナチュラル。
森井さんによれば、お客さんが入ってきた時の様子から、「今日は話したそうだな」「今はそっとしておいた方がよさそうだな」と、なんとなく感じることがあるのだそう。だから、最初からぐいぐい距離を縮めることはありません。まずは軽く話して、相手の様子を見る。こちらが話せば耳を傾けてくれるけれど、ひとりでいたそうなら必要以上には踏み込まない。
初めて会ったはずなのに、不思議と昔から知っている人のように話せてしまう。あれも、これもと話しているうちに、頭の中で絡まっていたものまで、少しずつほどけていくようです。
コーヒーを1杯飲みながら、まずひとりと話してみる。地域とのつながりは、そんな小さな会話から始まるのかも。
森井さんをひとり知ると、
益田に「知っている場所」が増えていく
森井さんが52歳の時、『ハレテル』を始めようと思った背景には、以前から開いていたホームパーティーがありました。年3回ほど、多い時には36人が集まったことも。そこでは、森井さんとは知り合いでも、それまでお互いには面識のなかった人同士が出会い、話し、新しいつながりが生まれていきました。
そんな光景を見るのが好きだった森井さん。「人と人がつながる場所をつくりたい」。その思いの先にあったのが、ゲストハウスでした。
だからなのか、『ハレテル』での過ごし方は、宿の中だけでは完結しません。これまでには、ゲストと近くのご当地スーパー『キヌヤ』へ買い出しに出かけたり、『島根県芸術文化センター グラントワ』や衣毘須神社、須佐ホルンフェルスなどへ案内したり!
グラントワへ出かけた時には、知り合いのミュージアムショップスタッフへ声をかけ、ゲストの案内をお願いしたこともあるそう。
「島根県観光フォトライブラリ」データ
「ご飯なら、ここがおいしいよ」。
そんな会話から、地元の飲食店を紹介することもあります。カフェのメニュー表には、森井さんオススメの益田の飲食店情報も。森井さんいわく、益田は「実はグルメタウン」。街のつくりも比較的コンパクトで、いくつかの場所を巡りながら過ごしやすいと話します。
もちろん、こうした案内は、あらかじめ用意されたツアーではありません。
予定が空いていれば一緒に行く。難しければ、オススメの場所を教える。その時、その人との会話によって、過ごし方が変わります。
以前、ゲストを石見銀山の大森地区まで案内した時も、最初からその予定だったわけではありません。少し迷いながらも、「俺も久しぶりに行ってみようかな」と気持ちを切り替え、一緒に出かけることにしたのだとか。
予定通りではないから、おもしろい。
誰かとの会話をきっかけに、予定になかった場所へ行く。そこでまた、別の人や景色に出会う。森井さんが話す、ゲストハウスならではの「いい意味での予想外」です。
『ハレテル』は、益田の旅のゴールというより、そこから地域へ出ていくための拠点。知らない町でも、ひとり「知っている人」ができる。その人をきっかけに、知っている店や景色、また会いたい人が少しずつ増えていく。そうやって、知らなかった土地が少しずつ、自分に近い場所へ変わっていきます。
海を前に、
自分へ戻る時間
人や地域とつながる一方で、『ハレテル』では、自分自身に意識を向ける時間も大切にされています。
この日体験したのはヨガ。
始まりを知らせるのは、クリスタルボウルの澄んだ音です。響きに耳を澄ませ、呼吸を落ち着けてから、ゆっくりと身体を動かしていきます。
目の前には日本海。聞こえてくるのは、波の音。普段なら仕事やスマートフォン、これからの予定でいっぱいになっている頭の中も、身体を動かしているうちに少しずつ静かになっていきます。
そして、身体をほぐした後、再び響くクリスタルボウルの音。緩んだ身体と気持ちを、最後にそっと自分のところへ戻してくれるような感覚です。
森井さんが『ハレテル』へ「リトリートしに来てほしい」と話すのも、こうした時間があるから。ヨガをする。コーヒーを飲む。日本海の夕景や朝焼けを眺める。近隣のサウナで汗を流す。地域へ出かけ、人と話す。何を組み合わせるかは、その人次第です。
宿泊だけでリトリートを完結させるのではなく、『ハレテル』を拠点に、その日の自分に合った時間を重ねていく。何か特別なことを、たくさんする必要はありません。水平線を眺めるだけでもOK。あまりにも大きな景色を前にしていると、自分の中で膨らんでいた悩みも、ほんの少しだけ違って見えてきますよ。
知らない土地に、
「また会いたい人」ができるということ
森井さんは、益田の人について、いい意味で「おせっかい」なのだと話します。困っていれば手を差し伸べる。話をすれば親身になって聞いてくれる。そんな世話焼きで、人情味のある人が多いと感じているそうです。
『ハレテル』という名前の「ハレ」は、「ハレとケ」の“ハレ”に由来します。日常とは少し違う「ハレの日」。ここへ来た日が、そんな特別な日になれば。そして時には、誰かの人生の節目になる場所になれば。そんな思いが込められています。実際、地元の人がサプライズの場としてカフェを利用することもあるのだとか。
知らない土地で暮らすことを考えた時、仕事、住まい、交通、買い物……気になることはいくつもあります。でも、その地域にどんな人がいて、自分はどんな距離感で関わっていけそうなのか。それは、インターネットで情報を集めるだけでは、なかなか分かりません。
だからこそ、まずは足を運んでみる。泊まって、町を歩いて、そこに暮らす人と話してみる。
「自分には少し違うかもしれない」と感じることだってあるでしょう。それも、これからの暮らしを考えるための大切な発見です。反対に、旅から帰った後で、「また森井さんと話したいな」「次は教えてもらったあの場所へ行ってみよう」と思えたなら。それは、知らなかったはずの益田に、「また行きたい理由」がひとつ生まれたということ。
「しまね田舎ツーリズム」は、観光地を巡るだけでは見えてこない、地域の暮らしや人にふれるきっかけのひとつです。
旅をするように、島根の日常へ少しだけ入ってみる。そこで誰かと出会い、「また来たい」と思える場所がひとつ増える。自分らしい暮らしを探すことは、そんな小さな出会いから始まるのかもしれません。